大嶽山那賀都神社

抜粋文

山道を歩き、神人合一の境地へ


大嶽山 那賀都神社
遠く十二代景行天皇の時代に、奥宮に関する記述が残る、由緒正しい神社。現在の本殿は明治10年竣工、拝殿は伝匠舎 石川工務所の施工により平成23年に竣工。

甲州市塩山から秩父へと抜ける国道140号。旧・牧丘町を過ぎ、旧・三富村の中心部からさらに奥へと進み、雁坂峠の手前まで来ると、大嶽山那賀都神社を示す看板が見え、間もなく左手に国道と並行して流れる川へと下る脇道があらわれる。

道の両脇には、遠方から大嶽山那賀都神社にお詣りする人を泊める民宿が何軒か点在する。「うちは遠方からお詣りする方が多いんです。今でこそ自家用車で来るか、塩山からバスの便もありますが、昔は塩山駅から一日がかりで歩いて来たものでしたよ」

川を渡り、山裾の集落を通過すると、神社の駐車場に至る。大嶽山の「嶽」は「険しい山」という字義をもつ。ここから神社までは、車を降り、自分の足で、沢沿いの山道を1キロほどの参道を登ることとなる。


 

道しるべと灯籠が規則的に並ぶ参道歩きは、深山幽谷の気が漂い、日常の雑念をしばし忘れさせる。木の根もと、岩の足元にところどころ「大嶽山那賀都神社」と書かれた、高さ10センチほどの小さな紙の幟が建てられているのも面白い。

「沢の音を聞きながら山道を歩くうち、心は次第に静かになり、神人合一の境地へと誘われるのです」


大嶽山那賀都神社 日原盛幸 宮司

鳥居をくぐり、杉の木立をさらに上に登ると、道は神社を回り込む川にかかる橋を渡ることとなる。夏には、名前を記した紙の人形を沢に流す神事が行われる。


随神門を守るのは、向かって左のカラス天狗、右の大天狗。石川工務所は門の屋根の葺き替えを担当

「神道のカミは、通常、具体的な姿をかたどらないのですが、例外的にモロに姿を出しているのが天狗ですね。カラス天狗の方はカミの使いであるヤチマタガラスの化身で、どちらかというと道案内役です」

自らを省みつつ拝殿へ

随神門をくぐると右手に、拝殿に上る険しい石段が続いている。登りにとりかかる前に、正面の手水所で手と口とを清める。手水場には大きな鏡が据えられている。

「塩山から一日かけて歩いて来て乱れた旅装を整え、身なりを正しくしてカミの前に立つために、昔はここに等身大の鏡があったそうです。火災で消失したため、この丸い鏡に置き換えました。一旦ここで自分の姿を見つめ、気持ちを整えてからお詣りしていただければと思います」


天狗の下駄

拝殿に向かう急な階段を上りきる少し手前の右手、拝殿前に張り出した舞台を支える縁の下で、興味深いものを見つけた。天狗の一本刃の下駄が、大小二組。小さいのは、道案内のカラス天狗のものだろうか。

石段を上りきると、拝殿。神職の日原盛幸宮司が、カミと参拝者との間を結ぶ祈祷を行う場所だ。

「当社には自然神である大山祇神・大雷神・高オカミの神の三柱が祀られて居ります。そのご神体は鏡。鎮座以来千三百年に亘る悠久の時を量り知れない多くの人が、神の鏡に心を映し生きる糧として登拝を重ねて参りました」

「六根清浄謹み敬いて祈願奉る。清めたまえ、祓いたまえ」

日原さんの祝詞に導かれて人が手を合わせ、拝むそのご神体は、鏡に映る己の心、本来の自分の姿なのだ。

だからこそ、神道では、かたどらない。具体的な形をとるのは、神と対面するこの山の上の社へと人を先導する天狗ぐらい。日原宮司の語る神道の教えの深さに、心打たれる思いがした。

「ご高承の通り神道は、我が国有史以前からの信仰形態で、奥深い精神文化でも有ります。其れに触れるには、決して難しい説明は要りません。ただ神域に身を置くだけで、きっと貴方の遺伝子が語り掛けてくれる筈です」

那賀都神社に参拝するには、神域に至るまで約1キロの山道を歩く。その行程そのものが「道行」的な体験であり、自分の心を映す鏡の前に立つために自らを祓い、清めることでもあるのだろう。

「参道は四季ごとに趣が深く、渓谷の瀬音・鳥の囀りに神の声を聞かれるものと信じて居ります。いつの日か、静かなるご参詣をお勧めします。」


竣工直後の拝殿

拝殿の玄関左手には、あたたかい雰囲気の「お茶の間」的な畳の部屋があり、祈祷を受ける人の待合所となっている。

宮司さんの奥様が、里の畑で育てられた野菜をたっぷりと入れた煮物をお茶受けに出してくださった。淹れてくださったお茶をいただく湯吞みも、陶芸を業とする信者さんがこの神社のために焼いたものだという。

「子宝、安産、病気平癒など、それぞれに祈願する思いをもって、当社にお詣りくださる信者さんたちがおられます。遠くから来られる方も少なくありません。ご祈祷をされる方にお茶や煮物をお出しするのは、よく来たね、お疲れさん、というねぎらいの思いからです」

昭和★★年の火災で消失し、急ごしらえで再建した拝殿を、平成23年に石川工務所で大改修し、今の形となった。

「祈祷をする拝殿も、そして祈祷の前後に祈祷を受ける方が寄るこの茶の間も、あたたかく気持ちよく過ごしていただけるようにお願いしました。那賀都神社第一義的には大自然の中でカミと向かい合う場ですが、同時にその仲立ちをする私ども神職と皆さんが交流する場でもあります。改築では、そうした側面をも重視して施工してもらいました」

断熱材をほどこし、建具類もきちんと気密性がとれるものとしたことで、厳冬期のこの山の中の神社でも、居心地良く、日原さんとあたたかく語り合えるような空間ができた。


本殿は保護のためコンクリートの建屋で覆われている。

拝殿からさらに上に鎖をたどって上っていく、本殿は、明治時代の名工、都留市谷村の福田俊秀氏が半生を掛けて施した彫刻が素晴らしい。この彫刻を風雨から保護するために、本殿全体が覆屋で囲われている。

「小規模ながら霊験灼かな御神徳に相応しく、工匠の闘魂の凄まじさを感じます。明治時代の名医 喜多島宗甫氏のご寄進によるものです。」

さらに奥宮は国司ヶ岳の天狗尾根(2159m)の岩の割れ目にあり、佩剣を留め置き、三神を斎き祀る。まさに山岳信仰の神社だ。


随神門に向かい合うようにして建つ神楽殿。伝匠舎 石川工務所は屋根の葺き替えを担当。

「山道をたどってこの神社を訪れる皆さんにとって、清々しく、かつあたたかみのある場を整えて、皆さんがお詣りくださるのをお待ちしています」

取材・文:持留ヨハナエリザベート(モチドメデザイン事務所) 取材:2016年12月