功徳山蓮生寺

抜粋文章

子供たちのもたらす 明るい気に満ちた境内

功徳山蓮生寺 平成23年に竣工。

国道20号線の甲府昭和インター出口から東へ進み、釜無川の工業団地に至る手前、甲斐市玉川地区の住宅地に蓮生寺はある蓮生寺。赤ちゃんを抱いた「子育地蔵」のやさしいお顔と、蓮生寺で経営する玉川保育園から聞こえる子どもたちの声に迎えられて、境内へと歩みを進めます。正面に先頃新築された本堂の美しい銅板葺きの屋根が迫ります。

出迎えてくださったのは、蓮生寺の藤田義敬住職。笑顔が素敵な、40代の若々しいご住職です。「本堂へどうぞ!」誘われるままに向拝の沓脱ぎから数段の木の階段を上りました。

功徳山 蓮生寺 藤田義敬 住職

内陣は曼荼羅そのもの
お釈迦様の慈悲の普遍性を表す

本堂に足を踏み入れてまず、なんともいえない桧のいい香りに包まれ、清々しい気持ちになりました。真新しい桧の木肌は明るく、本堂の端から端までをずっと見通すことのできる、ひとつの大きな板の間の空間が、ゆったりと広がります。

「建て直す前の本殿は、襖や板戸などで一部を物置として仕切っていたのですが、今回の普請では仕切るのはやめにして、本堂全体をひとつの空間にしたんです」

その結果、間口 二間 × 奥行 二間(180cm × 180cm) 単位の空間が9マス(3行 × 3列) 並ぶ、分かりやすいスッキリとした空間配置となりました。9マスのうち、仏様の居場所である正面奥1マスと、住職が読経をするど真ん中の1升とを合わせた空間を「内陣」と、それ以外の7マスを「外陣」と呼びます。内陣は、素晴らしい彫刻が施された虹梁によって、外陣との間に結界を張った、聖なる空間として区別されています。

外陣から内陣を見る 虹梁、花のレリーフが飾られた格天井

「正面奥の1マスの仏様のエリアには、須弥山を模した須弥壇を置き、仏様を安置しています。中央にある『南妙法蓮華経』を納めた題目塔の左右の蓮台に、久遠の釈迦如来と多宝如来が座られています。その手前白象に乗られた普賢菩薩が左に、青獅子の乗られた文殊菩薩が右に居られる中央に、開祖日蓮様の座像があります。この仏様方の配置そのものが、お釈迦様が霊鷲山(りゅうじゅせん)で説法をした様子をあらわす曼荼羅になっているのです」

「曼荼羅になっている」とは、どういう意味なのでしょう? 分からなかったのでお尋ねすると、興味深いお答えをいただきました。

「お釈迦様はこの説法をされる時に、すべての世界の代表者をお側に呼ばれ、全員に等しく接しました。その中にはお釈迦様を殺そうとしていたダイババも居ました。そのような過去のある人でも、必ず仏になれる。悪人であっても南妙法蓮華経を唱えれば成仏できると説くのがお釈迦様の慈悲の心であり、日蓮宗の教えなのです」

なるほど。仏様達が居並ぶ内陣の立体曼荼羅には、悪人の場所もちゃんと用意されているのですね。「そして私の場所もあります。仏様方の手前の1マスが、僧侶のエリアで、私は毎朝ここでお経をあげています」

ご住職は内陣に座して、人間界の代表として曼荼羅に参加され、檀家のみなさんはじめ人々のためにお経をあげられているのでした。本堂とは、そのような人間界と仏様の世界とが交わる場所なのですね。

今日にまで至るお寺の歴史の流れを大切にしながら新築をさせていただくために、内陣の須弥壇まわりには、元あったお寺で使っていた古材を、新築するお寺で大切に使わせていただきました。時を経て深みを帯びた古材が、新築の白木の本堂の中に、落ち着きと求心力をもたらしています。

花のレリーフが格天井に嵌まる「華天井」は「散華」を表現する

美しい華天井を眺めつつ、 読経を聴く外陣エリア

内陣の天井を見上げてみてください!「格天井(ごうてんじょう)」になっている格子のひとつひとつに、木彫りの花のレリーフが嵌められているのがお分かりいただけるでしょう? 素朴な形をした花は赤系・緑系・白系のごく限られた色数の岩絵の具で美しく彩色され、派手すぎず、良い感じがします。

「『散華(さんげ)』というのですが、花びらを散らして敷き詰めた花の道に仏様をお迎えしましょうという美しいイメージが経典に出てくるのです。南妙法蓮華経の『華』ですね」

このイメージを建築的に表現したのがこの「華天井」だというのです。耳ではお経を聞きながら、住職の背中越しに見える仏様たちが織りなす立体曼荼羅と天井の美しい花を眺めれば、お経の文言は分からなくても、お釈迦様の慈悲の教えを感覚的に理解できそうな気がいたします。本堂そのものが、仏教の教えを人に理解させるよすがとなる「表れ」なのかもしれないと、ふと思いました。

「この華天井も、ここにあった本堂から引き継いだものです。古の工人が刻んだ尊い手仕事を、新しい本堂にも活かすことができて、本当によかったです。」

本堂にあがる階段や賽銭箱のある空間には、本堂から「向拝」と呼ばれる屋根を張り出す。

仏となった故人を この菩提寺からお送りしたい

外陣のスペースをゆったりととって「お寺での葬儀・法要」ができるようにしたい。それが今回、本堂新築にあたっての住職と檀家の皆さんの希望でした。

「今は菩提寺があっても、葬儀はほとんどがホール葬になってしまっていますよね。私も檀家さんに呼ばれてホールでお経をあげることが多いですが、そこにご本尊はいらっしゃいません。あたりまえのことですが、ホールは、公共空間であっても、宗教的な空間ではないのです」

「せっかくここに皆さんの菩提寺があるおに、亡くなるという人生でもっとも大事な節目に、なぜお寺からあの世に旅立たせてあげられないのだろう?」檀家総代から本堂新築の話が持ち上がった時に、住職が真っ先に考えたのは、そのことでした。

外陣に座席を持ち出したところ

寺院葬のハードルをあげているいちばんの問題は、それまでの本堂で葬儀をしても、参列できる人数がごくわずかに限られてしまう、という点にありました。

「内陣の読経スペースの横を建具で仕切るなどしていたために、3行3列の9マスのうち、参列者が居られる空間がごくわずかしかなかったのです。ならば、外陣に仕切りを設けたり物を置いたりすることをやめれば、多くの方が本堂に集まることができるだろう。これが、今回の新築になった本堂の最大のコンセプトです」

それも、かつては本堂に居る人には座布団で座ってもらっていたのを、長椅子を持ち出して座るようにしたところ、親戚やご近所、友人たちで故人を見送るような通常の葬儀なら、足のお悪いお年寄りでも身体に負担をかけることなく、うちでできるようになったのです」

仏様の世界に迎え入れていただく 「受戒」の宗教的意味

現在、よく行われている「ホール葬」と、菩提寺での「寺院葬」とでは、檀家さんにとっての宗教的意味がまったく違うのだそうです。そのことを詳しく教えていただきました。

「昨今では病院で亡くなることが多いわけですが、まずご遺体はいったん家に帰られますよね。そして葬儀の日の朝、故人を自宅から霊柩車で運び、ご遺体をホール斎場の祭壇に飾ります。その夜が『通夜』となり、訃報を受けて参列者がかけつけるわけですね」

飛檐(ひえん)垂木と地垂木の二重構造で重厚な屋根を支える

「そして、翌朝、ご遺体は焼き場に移され、荼毘に付され、遺骨になって再び斎場に戻ります。その午後が『告別式』となります。引き続き夜にかけて、精進落としを兼ねて近親者で『初七日』の会食をするという流れが多いようです。世間に対して故人が亡くなったことを示す社会的な葬儀という側面ではこれで必要十分かもしれませんが、仏教の葬儀としては、残念ながら肝腎の要素が抜け落ちてしまっているのです」

その肝腎の要素とは?と、核心を問うと「亡くなった方を、仏様の世界に迎え入れていただくこと。これが抜けてしまうんです」とお答えくださり、引き続き 本来の「送り方」について次のように話してくださいました。

「故人の魂が肉体に在る最後の夜を、親しかった家族や近所の人たちとともに過ごす『お通夜』の翌日、火葬場でご遺体を荼毘に付します。これで肉体は『お骨』となって、骨壺に納まりましたので、あとは菩提寺に戻り、肉体から離れた魂を、仏様の世界に迎え入れていただく許しを得るために、ご本尊にお経をあげます。仏教用語でこの許しを得ることを『受戒』と言います。これが『葬儀』のもっとも大切な要素なのですが、現代のホール葬ではこの肝腎の『受戒』が割愛されているのです。ホールに僧侶は出張できても、ご本尊はいらっしゃいませんので、仕方ないのですが・・」

仏教用語でこの許しを得ることを『受戒』と言い、これが本来の『葬儀』の意味です。その後、故人の魂が現世を離れ仏様の世界に旅立たれたことを皆様に報告する『告別式』があってもよいのですが、現代のホール葬では肝腎の『受戒』の部分が割愛されてしまっているのです。ホールに僧侶は出張できても、ご本尊はいらっしゃいませんので仕方ないのですが」

「ホール葬では『受戒』を飛ばして、『告別式』となります。故人の魂が現世を離れ仏様の世界に旅立たれたことを皆様に報告するのが告別式なのですが、なにか大切なものが抜け落ちてしまっているのですよね」

ご本尊

寿命が尽きて、魂が肉体を離れる人生最期の時には、この現世で檀家として守られて来た菩提寺から旅立ちたい。そう願うのは、当然のことです。ところが、現世から来世へと移行する故人を「送る」大切な時間が、いつしか生者の社会的なつきあいの1コマになってしまっているようにも思えます。送る方も、気ぜわしさと慌ただしさにまみれ、故人に手を合わせ焼香し、仏様の前に座して来世へのよき旅を祈るという時間を取れないというのが、現代の葬送の現実ではないでしょうか。

「亡くなった方は、すぐに仏様の世界に行けるわけではないのです。四十九日の間、魂はまだ家族や知人のすぐ近くに居られます。菩提寺の坊さんが公共空間に出張するホール葬と、慣れ親しんで来た菩提寺でご本尊に許されて仏様の世界に旅立つ本来の葬儀。その違いをいちばん大きく感じるのは、ほかでもない、亡くなった方なのかもしれません」

外陣を広々ととったことで、3人掛けできる長椅子で数十人は余裕で着席できるようになりました。以前ではかなわなかった「寺院葬」が可能となり「本堂の新築は、宗教的に本当に意味のあることでした」と静かに微笑まれるご住職は、とても満足そうでした。

『少欲知足』の精神で臨んだ新築

「本堂の新築にあたって、檀家信徒代表の皆さんと意見が一致したのは、簡素にスッキリと仕上げた方が、大切な部分にきちんと手をかけることができ、よく見えるようになるのではないか、ということです。先ほども申し上げたことですが、外陣の収納スペースをなしにしたおかげで、内陣の三方を外陣が囲む形となり、どこからでも須弥壇や華天井がよく見えるようになりました。まさに『少欲知足』ですね」

法華経には「欲少なくして足るを知る(少欲知足)者は、かえって幸せになる(得其福報)」という大切な教えがあるのだそうです。「ここに収納があれば」と欲を出せば、本堂の核心である内陣が見えにくくなります。欲を少なくすることで、大切なものがより際立ち、鮮明に見えてきたと住職はおっしゃるのです。

「当初、私が読経する座布団の真上に天蓋をもうける計画があったのですが、それも要らないかな、と今では話しています。天蓋があるために仏様が見えなくなっては、それこそ勿体ないですから」

何でも手に入る時代だからこそ、大切なものを見失わないためにも、欲をおさえる。とても大事なことを教えていただきました。

懸魚(けぎょ) 神社仏閣の屋根に取り付けた妻飾りに、水に関連する「魚」をモチーフとすることで、火伏のおまじないとしています。

葬義とお墓参りの場だけではない コミュニティーの中心としてのお寺

住職には、もうひとつ夢があります。

「せっかく人が集まりやすい形式の本堂ができたのですから、葬儀や法要、お墓参りの時だけでなく、普段から人が自然と寄りやすいようなお寺にしていきたいんです」

蓮生寺では、現在でも毎月一回は本堂で保育園の朝礼をして子どもたちに仏様のお話をしているほか、写経の会も不定期で行っています。

「年越し、元旦の祝い、花まつり、七五三・・・生活の節目となる宗教行事の時に、もっともっと本堂を活かせるようにしたいですね。以前に月イチでやっていた檀家さんを招いてお経をあげ、法話をする「信行会」を復活したいですし、ほかにも、コンサートやお話会など、活用できることがありそうです。檀家の皆さんたちと知恵を出し合って、実行に移していきたいですね」

新しくきれいになった、という以上の大きな意味が、本殿の改修にはありました。住職のお話を聞いて「お寺は生きている間に足しげく行くところ」になり得るのだということを、感じさせられました。今後の展開がますます楽しみです。

石川社長: 今回の新築工事で「人が集まる、コミュニティーの中心としてのお寺」を作るお手伝いをさせていただき、新しい建物を建築するという以上の意義とやり甲斐を感じながら仕事ができました。今後も仏様とご住職と檀家さんとが交わる場づくりに関わることができましたら、工務所の本望です。

取材・文:持留ヨハナエリザベート(モチドメデザイン事務所) 取材:2016年12月