せっかくの「一棟入魂」の家も、災害で滅失してしまってはおしまいです。伝匠舎では火事や地震に強い作り方を工夫し、大切な家や地域の文化を守ります。
木造建築の大敵は、火。
建物も文化も消失するおそろしさ
木造建築において一番怖いのは、火事です。令和元年の沖縄・首里城の火災にしかり。長い日本の歴史の中で、まことに多くの建造物が火災によって失われてしまいました。例えば、木造の長屋が密集する江戸の下町では「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほどの日常茶飯事でした。ひとたび火がまわれば、川や大きな通りで隔たられた区画全体が燃えることも多く、鎮火には水よりも「破壊消防」が効果的だったとか。火の手がまわる先々の長屋を火消しの男たちが壊し尽くし、その手前で火を食い止めたというのですから、荒っぽい話です。
明治以降も関東大震災、東京大空襲など、東京の街は何度も大火に遭っています。そのたびに、建物だけでなく、美術品や歴史的記録など、いわばその町が蓄積してきた文化全体が消失したのです。
戦争や地震も、火事を派生させます。戦前の甲府は擬洋風の建物が立ち並ぶ、それはそれは美しい町だったそうです。しかし、終戦直前の一晩の「七夕空襲」であっという間に灰塵に帰してしまいました。あと40日終戦が早ければ、甲府の街並みが残っていただろうに・・・と思うと、悔しい限りです。
川越の大火の教訓としての
「蔵型住宅」の提案
明治時代に大火に見舞われた埼玉県の川越では、大火の教訓として町ぐるみで住居を蔵型にしました。蔵は元々、中に納めた財産を守るために、分厚く土を塗り重ねた壁を漆喰で仕上げた「耐火構造」としてつくります。それを、店舗や住居に応用したわけです。そのおかげで、川越の中心部には、明治以来の美しい蔵の街並みが今も残っています。
蔵型住宅は、耐火性ばかりでなく、断熱性や防犯性も高まります。その分、内側に開放的な木組みの空間をつくり、「外に閉じ、内に開く」暮らしをするのもよいかもしれません。