現存している古民家は「ほどいて、組み直せる」からこそ、修繕や移築をされながら、今に至っています。現代住宅の主流である、接着剤や金物で不可逆的に接合された家は、移築も再利用できません。長い目で見て、変化に応じられるように造ることが、真の資産価値につながります。
平成17年(2005年)2月、日本民家再生協会の友人の設計士から、東京都府中市にある住宅の移築の相談がありました。古民家ではなかったのですが、良い住宅だということで出かけて行ってみると、そこには確かに立派な住宅が建っていました。ただ移築先が大きな道路を挟んで向かい側だということで、道路を横断して曳くわけにもいかず、建物をいったん全解体して、再び組み上げるという方法が考えられました。
その住宅は昭和60年代に建てられた比較的新しいもので、在来工法の2階建てで、延べ面積は約46坪ほどありました、和室を除いて内外ともほぼ大壁で、そこに立派な内装が施されております。ただ調査を始めて気付いたことは、それらの内装材がみな釘と接着剤で固められていて、うまく解(ほど)けそうにないこと、それでも無理して使おうとすると、まだ真新しい材料に埋木などの傷が残ってしまうこと、また使用されている柱や梁といった主要構造材はそのほとんどが細く、節が多く、わざわざ解いて再利用すべきものか経済的にも疑わしいこと、設備器具なども古びてきて再利用すべきか悩まれたことなどあり、結局導かれた結論は解体処分して新築するでありました。古民家再生のプロとして呼ばれた私共でしたが、現地での再生工事ならば何とでもいたせましたが、移築が条件となった張りぼて住宅となると手の施しようもありませんでした。
今までいくつもの古民家を移築再生してきましたが、この府中市の高級住宅はなぜ移築再生ができなかったのか? 一生で一番贅沢な買い物として造られたはずの住宅が、その価値を見出されず無残にも解体処分されたのはなぜなのか? その理由を考えてみましょう。
まず日本伝統構法によって造られた木造建築の良さは、解いてまた組み上げられるという点です。この柔軟性が傷んだ部材を取り換えたり修理したりして建築を長らえるのに上手く働きました。これらは現代の過多な釘の使用や接着剤の使用によって固められた住宅では困難なことです。この柔軟性のおかげで、日本では時代の変化の中で、売買され、時に移築され生き残って来た古民家のなんと多いことでしょう、古民家の再生に携わる者であれば度々気付くことであります。さらに重要と思われるのが大黒柱や大梁などの化粧構造材です。その何とも力強く美しい姿に多くの人々が心を動かされ、古民家は修理され世紀を超えて生き残ってきました。
もし古民家が移築されなかったら、もちろん各地にある民家村もなかったし、その他の多くの古民家が失われたことでしょう。施主と共に精魂掛けて造った住宅が世紀を超えて存続し、地域の文化的な景観になっていくために必要なもの、それは解ける美しい化粧構造材ではないでしょうか。