わずか30年あまりで壊さざるを得ない
「解(ほど)けない家」
平成17年(2005年)2月、日本民家再生協会の友人の設計士から、東京都府中市にある住宅の移築の相談がありました。古民家ではないが良い住宅なので、見にきてほしいというので出かけてみると、確かに立派な住宅が建っていました。ただ移築先が大きな道路を挟んだ向かい側なので道路を横断して曳くわけにもいかず、建物をいったん全解体して、再び組み上げる方法が検討されていました。
昭和60年代に建てられた比較的新しい在来工法の2階建て、延べ面積は約46坪ほどありました。和室を除いて内外ともほぼ大壁で、立派な内装が施されているのですが、よく見ると、みな釘と接着剤で固められていて、うまく解(ほど)けそうにないのです。無理して使えば、まだ真新しい材料に埋木などの傷が残ってしまいます。
そもそも柱や梁といった主要構造材のほとんどが細くて節の多い一等材で、わざわざ解いて再利用する価値があるのか経済的にも疑わしく、設備器具も古びていて再利用すべきか建て主も悩まれたということもあり、結局導かれた結論は「解体処分して新築」でした。一生で一番贅沢な買い物として造られたはずの住宅でありながら、釘や接着剤で使用によって固められた住宅は、移築再生は困難なのです。
化粧構造材の美しさと
柔軟性のおかげで生き残る
私ども伝匠舎では、これまでいくつもの古民家を移築再生してきました。日本伝統工法によって造られた木造建築は「解いてまた組み上げる」ことができる柔軟性があります。傷んだ部材だけを取り換えたり、修理したりして、建築を長らえるのに上手く働きました。この柔軟性のおかげで、古民家は売買され、時に移築され、時代が変化しても生き残って来たのです。
さらに、柔軟性以上に重要だと思われるのが、大黒柱や大梁などの化粧構造材の存在です。その何とも力強く美しい姿に多くの人々が感動してきたため、解体されることなく大事に修理され、世紀を超えて生き残ってきた古民家が現存するのです。古民家の移築なくして、各地の民族村ももちろんなかったし、その他の多くの古民家が失われたことでしょう。施主と共に精魂掛けて造る住宅が、世紀を超えて存続し、地域の文化的な景観になっていくために必要なもの、それは「解ける 美しい化粧構造材」でありました。