1-1. 人間とAIの関係

一見無駄な行動こそが
人間の証であり、文化である

野生動物は、生存のための行動以外の無駄なことをしません。時に無駄な行動(芸)をする犬や猫がいますが、それは人間が教えこんだものです。対して、人間の行動は無駄だらけです。生存のためにおよそ必要ない行動をとることこそが、人間の証であると言っても過言ではありません。

「ダイヤモンド富士」を撮影するために富士山の麓に出かけていくアマチュア写真家が少なからずいます。ネットで、300円から高くても1万円も出せばプロが撮影した感動のショットがいくらでもダウンロードできるのに、なぜわざわざ時間と金を費やし、寒い思いをしてまで自分で撮影することにこだわるのでしょうか? やはり人は、どんな完璧な富士の写真よりも、思いを込めて撮影した「自分だけの富士山」が好きなんですね。まことに人間の行動は不可解です。

近年、囲碁や将棋の世界では人間がAI(人工知能)に負けることも多くなってきています。近い将来、AIが人間を完全に超えてしまうのは明白です。しかし、だからといって人間は囲碁や将棋をやめてしまうでしょうか? いや「AIにはかなわない」と決着のついた時点で、人間はAIとの対戦そのものに興味を無くすのでしょう。そもそも面白いのは、お互いの知恵をしのぎあう「人と人との関係」なのですから。

AIが組み込まれた精巧なロボットはやがて人間の仕事を奪うでしょうか?人間の行動は不確実性の塊(かたまり)であり、生産性や経済効率だけではとても推し量れません。人間の行動の不確実なものに対する欲求には限りがなく、世界が今後どのように進化するかは予測が難しいけれども、それでも人間は人間的な無駄に対する欲求を抑えこんで消してしまうことをしないでしょう。どんなに優れたAIロボットも、人間の不確実で非生産的な無駄やわがままを理解し、猫や犬のように不確実に非生産的に振舞う術を身につけなければ、いずれは飽きられてしまうでしょう。

人間と心を通わせる
「入魂の一品」を

このように人間の行動は、生産性や経済効率だけではとても推し量れない不確実性の塊(かたまり)です。世界がどう進化していくのか分かりませんが、人間の不確実で非生産的な無駄やわがままを理解しないAIロボットは、それがいかに優れたものであっても、いずれは飽きられてしまうのではないでしょうか。

伝匠舎がつくる「入魂の一品」には、AIロボットからみたら無駄でしかないような、ゆらぎやあたたかみがあります。それが不確実な存在である人間と心を通わせあい、響き合い、安心感をあたえるのです。AIロボットでなく、人間が住む家をつくっているからこそ、そこを大事にしたいと私たちは考えています。