4-1. 川越大火

川越:大火後の街並みを
防火構造の蔵造りで再建した

1893年、明治26年3月17日の夜8時頃、旧城下の養寿院門前から火災が発生。強い北風が吹いていたこと、連日の晴天で空気の乾燥していたこと、消火用井戸水が使い果たされていたことなどから、火勢は土蔵の間を縫い、短時間で計17町を焼失。鎮火したのは翌朝8時。当時の町域の3分の1に相当する1,302戸を焼失する未曾有の大火災でした。

一方で、焼失を免れた家屋は、大沢家住宅をはじめ全てが、伝統的な耐火建築である「蔵造り」でした。その優秀性を再認識した川越商人たちは、コストは高く付くものの、同じ惨事を繰り返さないよう、競って蔵造り建築による店舗(店蔵)を建てました。南町・鍛治町の目抜き通りに、東京から職人を招いて蔵造りによる街並みの再建を行ったのです。

伝統工法に加え、レンガ・大谷石・御影石などの新しい建築資材も柔軟に取り入れ、いわば「川越的蔵造り建物」による町並みが形成されていきました。こうして、大火後2〜3年の間に200棟を上回る蔵作りが建設され、当地のシンボルともなったのです。

参考:川越市蔵造り資料館HP、ウィキペディア、 川越市立博物館「川越大火百年 大火の歴史と街づくり(博物館だより 第8号)」

川越大火

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