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甲府空襲:美しい街並みが
一夜の空襲で跡形もなく
美しい城下町だった甲府こそ小江戸、小京都でした。ところが、終戦の年の7月6日から7日にかけての空襲で、そのほとんどば灰塵に帰してしまいました。残念でなりません。山梨の明治・大正という時代は、人々の記憶から、失われてしまいました。
『甲府空襲の犠牲者は1127人、負傷者は1239人、市内を嘗め尽くした猛火は、一晩燃え続け朝になってもくすぶり続けていた。黒い塀と白壁の土蔵の風景は跡形もなく焼け落ち、焦土の中に焼けただれた6階建ての松林軒などのビルが建っているだけであった』
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古き良き時代の甲府市街
そのわずか39日後の8月15日、終戦。山梨県は尊い人材を失うと同時に、美しい歴史の記憶を奪われてしまったのです。