風流美を愛でる 風流美の美しさを語ります

軒の出の美しさ

山梨の秋、伝匠舎石川工務所のある塩山あたりは、ころ柿のシーズンになります。家の軒先に、縄にくくりつけた柿が、のれんのように吊るされます。そのままではとても食べられないような渋い柿が、冬に向かう寒気にあたり、水分が抜けてシワシワになったところを、毎日手でもまれていくと、やわらかく、甘柿以上に濃厚な甘さになってくるのですから、不思議ですよね。

そろばんの玉のように縦に並んだ柿は、弱くなりつつある低い日射しを集めたかのように滴るような赤。晩秋の風物詩です。

地域の町並みは、その土地の気候風土や文化に根ざした屋根や軒が作り出す風景であると言っても過言ではありません。時代劇の映画などでは、急な雨が降った時に、軒下で雨宿りをするシーンなどもよくありますが、街道筋や町家などの、軒先が揃った町並みは美しく、歩いていても、楽しいものです。

ところが最近の新築住宅は、軒のない、あるいはほとんど出ていない家が多いのです。都会の狭い住宅地でならいざ知らず、地方ののどかな田園地帯で軒を出さない家を作ることは、地域景観の保全育成を放棄し、歴史的な地域の家並景観を乱す行為です。太陽エネルギーのパッシブな利用も無視し、雨の多い日本の風土のなかで降雨時に窓が開けられないという、欠陥とも思えるような状況が見られます。たしかに、外壁は新建材だから、雨の進入は気にしなくてもいいのかもしれません。外界とピッチリと遮断して、室内の温湿度は人工的に機械で調節するのだから、窓はいらないのかもしれません。おそらく軒が無い方が建築費が安く済むし、デザインするのも簡単だからという理由なのでしょうが、外国からエスニックな日本を探しに来た旅行者は、おそらく悲しんでいることでしょう。

そのような流れの結果として、都会はもちろん、地方の住宅地でも、真四角な箱のような、ツルンとした家ばかりが並んでいます。しかも「隣と同じでは芸がない」とでも思っているかのように、少しずつテイストや仕上げを変えているので、おもちゃ箱をひっくり返したかのようです。調和もなにもあったものではありません。西欧にはどの町にも美しい街並みが残っているのに、日本らしい、あるいは山梨らしい統一感のある街並みは一体、どこへ行ってしまったのでしょうか。

オリンピックを控え、観光立国、クールジャパンということがよく言われます。海外からの旅行者は「日本らしい風景や町並み」を求めて来日するはずです。ところがその町並みが、壊滅的な状態なのです。伝建地区などを守ることも大事ですが、古民家再生や、将来「平成の古民家」と言われるようになる質のよい新築の木の家づくりといった、街並を生み出す努力も必要ではないでしょうか? ひとつひとつの家づくりのお手伝いをさせていただくことを通して、「街並は貴重な地域資源」という公共的な意識が、より「あたりまえなこと」になっていくことを、心から願っています。