風流美を愛でる 風流美の美しさを語ります

古きよき甲府の街

今の甲府の町並みから想像はつきにくいのですが、太平洋戦争終結直前の7月6日から7日にかけて、B-29の爆撃に遭うまでの甲府は、とても美しい町だったのだそうです。

総務省の「一般戦災ホームページ」の記述によれば、甲府空襲の犠牲者は、1,127人、負傷者1,239人。「市内をなめ尽くした猛火は、ひと晩燃えつづけ、朝になっても燻(くす)ぶり続けていた。黒い塀と白壁の土蔵の風景はあとかたもなく焼け落ち、焦土のなかに焼けただれた6階建ての松林軒などのビルが建っているだけであった」とあります。

戦後生まれの私はその町並みを見たこともなく、古い写真にその面影を偲ぶのみですが、戦災に遭わなかった県内各地の数少ない擬洋風建築などを見るにつけて「終戦がもう何ヶ月か早かったら」と、なんともいえず悔しい、残念な気持ちになります。最近になってようやく、甲府駅北口駅前にそうした町並みを観光的に復元しようという試みが始まっていますが、暮らしや文化を一瞬で破壊する戦争のおそろしさを感じずにはいられません。

ショパンの生誕地として有名なポーランドのワルシャワの旧市街も、甲府と同じように、第二次大戦の空襲で壊滅的な被害を受けました。しかし、終戦の復興の過程で、戦前に美術学校の生徒たちがスケッチしていた数多くの絵などをもとにディテールまで修景する努力を尽くし、今ではその町並みが「ワルシャワ旧市街」として世界遺産に登録されています。

「復元した旧市街は世界遺産に値しないのでは?」という議論に、当地の関係者は「もしワルシャワ市街が破壊と復興の歴史がなく、残っていたならば登録しようとも思わない」と反論し「破壊からの復元および維持への人々の営み」として評価された最初の世界遺産となったとか。その思いの強さと実行力に心動かされます。

さて、日本の戦後は、どうだったでしょうか? 破壊されたものを新しく直すことには奔走してきましたが、今になって、自分たちのルーツを見失っているようにも思えます。「古い」という言葉にマイナスの価値判断が入るようになったのは、脇目もふらず前進してきた時代の流れゆえではないでしょうか。

「風流美」でみなさんにお伝えしたいのは、時を経てなお美しくなるものの価値です。古びて飴色になった古材や、先人の丁寧な手仕事は、時の厚みに醸されて、一層、美しくなる、その素晴らしさを伝えたい。そのような願いを込めて、当社の向かいに、古民家再生や古材利用のよさを体感していただける、擬洋風建築と蔵風住宅の2棟続きの「風流美ショールーム」をつくりました。塩山においでの際は、駅前の甘草屋敷から少し足を延ばして、お立寄りいただければ幸いです。

先人達が残してくれた足跡の上にまた自分たち世代の価値を上乗せして「文化の厚みを増していく」。そのような私たちでありたいと願っています。