風流美を愛でる 風流美の美しさを語ります

風流美に似合う風景

以前、あるゴルフ場に行った時のこと。そこに関連施設として、立派な民家が移築されていたんです。芝生や森が広がる風景の中の民家群。それはそれできれいなんですけれど、なんか、ヘンなんですよ。・・・何なのだろうか、この違和感は・・とぼんやり考えていて分かったんですよ「同じ緑でも、民家だったら、田んぼの緑でなきゃ!」と。ゴルフ場はまるでイギリスの田園風景のようで、日本の民家は合わないんですね。

民家のうしろに里山、前に田んぼ。やはり、日本の原風景はこれです。しかも、田んぼのある風景は、春から秋までずっと青々してる芝生と違って、めまぐるしく風景が変化していくのが、面白いですよね。

春、茶色一色だった田に、水が入ると、田んぼが水鏡になって、青い空や白い雲、若々しく芽吹いた野山を映し出し、あたりが一気に華やかに、明るくなります。夕陽があたって、水面が鈍く光る時刻なども格別です。田植が終わると、次第に緑が優勢となり、初夏になると一面青々としてきて、秋になれば、稲が穂を垂れ、田全体が黄金色に輝く実りの季節を迎えます。稲刈りが終わると、株元だけが残った田んぼは一気に静かになります。その稲株すら土に鋤き込まれてしまうと、風景はモノトーンに転じ、雪でも降れば、畔ごとに区切られた白い面が現れます。

ドラマチックに変化していくその風景の中に、民家は変わらず在り、そして、どの季節にもしっくりと似合うのです。田んぼと民家。これが日本の原風景であり、風流美の源ですね。民家が、木と土、竹、紙といった自然素材でできているからこそだと思いますよ。新建材の家だと、こうはいかない。どうしても人工物が風景から浮いたようになってしまいます。

民家は、こうした風景の変化を暮らしに取り入れ、豊かにしてくれる装置だというのが、現代の家づくりに民家的なつくりを取り入れることを私がみなさんにお勧めする大きな理由です。今どきの家って、窓も小さいし、軒もほとんどなく、家の外周が外と内とを隔てている感じですが、民家には、掃き出しになった南側のガラス戸、軒先と縁側など、民家はゆるやかに外とつながるしかけがたくさんあり、そのおかげでこうした美しい季節季節の風景が、家の中に居ながらにして、暮らしに入り込んでくるんです。そんな民家の知恵を、現代の家づくりに活かすことが、暮らしにもっと季節感や陰影を添えてくれます。

ところで、このコラムの写真はこのあたりでではなく、北杜市高根町で撮影したものです。甲府盆地の農村は昔は稲を作っていたところが、養蚕のために作る桑や、商品作物として効率のいい果樹に移行していった過去の歴史があり、じつは水田はあまりないんですよ。私の子どもだった頃にはまだ田んぼだったところも、今は葡萄や桃の果樹園になっています。花の時期など、きれいなのですが、田んぼが広がっていた風景がなつかしいような気もします。「花かげ写真館」にはそんな昔の塩山の風景写真なども展示していますので、ぜひ見にきてくださいね。

伝匠舎 石川工務所 石川重人