風流美巡り お店・施設紹介

山廬

山梨県が誇る俳人である飯田蛇笏は、1885年(明治18年)、今では笛吹市に併合された境川村小黒坂(旧・東八代郡五成村)に生まれました。早稲田大学進学で上京して高浜虚子に師事、24歳で帰山してからはずっと、地元に住み続け、家業である農業や養蚕に従事しながら、山梨の山村の気候風土や自然景観、暮らしの実感の中から、格調高い数々の名句を生み出しました。

蛇笏の生家は、同じく蛇笏の跡を継いで俳人となった1920年(大正9年)生まれの四男、飯田龍太に引き継がれました。現在では龍太のご子息の飯田秀實さんが、家屋敷を蛇笏の時代の趣を大切に維持し、住まわれています。この家屋敷全体が「山廬(さんろ)」と呼び習わされていますが、元々「山廬」とは、蛇笏が生前、自分自身を指して「祖末な山の家に住む者」して名乗った俳号でした。

飯田秀實氏

蛇笏は、大百姓であった飯田家の米蔵の二階を、地元の青年たちに「俳諧堂」として開放。さかんに句会を催し、俳誌「雲母」を主宰し、後進の育成につとめました。しかし、戦後の農地解放で、句作の現場となっていたこの蔵は米蔵としての役目を終え、いったんは人手に渡ることとなります。俳句の聖地である「山廬」に、その心臓ともいえる「俳諧堂」を再生したい。秀實さんのその思いは多くの賛同者を得るところとなり、「雲母」創刊100年の前年にあたる2014年一般社団法人山廬文化振興会が設立され、振興会による「俳諧堂」復元事業が決定されました。飯田家に戻ることとなった蔵の解体と、蛇笏の時代の写真や資料を手がかりに復元再生する工事を、弊社で担当させていただきました。

再建された山廬 俳諧堂

復元された蔵は、漆喰塗りの白壁がまぶしい、美しい建物です。蔵戸をくぐって入る一階には、蛇笏・龍太に関する資料が展示されてます。昔ながらの急な蔵の階段を上って二階に至ると、格子の入った窓が四方に開いた、明るい二十畳ほどの板の間が広がっています。

復元された蔵の二階

南面の壁には「山廬」の二字が墨書された額が飾られています。この書は、蛇笏の師、高浜虚子が揮毫したものです。虚子はこの地を一度も訪れたことがなかったのですが、現実の風景に依らず、蛇笏が詠む句を通して感じ取ったものに突き動かされて筆を運んだような虚子の書からは、現実の場所を写すよりも一層自由で伸びやかな気が感じられるようです。

高浜虚子の書

額のすぐ下の窓からは、笛吹川と甲府盆地の小瀬あたりを眼下に一望できます。ここから八ヶ岳、南アルプスをはじめ、大気が澄みわたる3月には、諏訪湖の向こうの北アルプスまで見える日もあるとのことです。

芋の露連山影を正うす 蛇笏

開いた窓に射し込む光、外から内へとわたる風は、時代は変われど、蛇笏や龍太が感じていた光や風とつながるものでしょう。俳諧堂の再建を決意し、実行された龍太のご子息で飯田家当主の飯田秀實さんは「蛇笏や龍太の句作の源となったこの自然を、この同じ場所で実感してほしい」という想いで、この二階を句会等に開放しておられます。

元の材がかなりねじれていたために、復元作業は困難を極めました

蛇笏・龍太の句作は、五七五の文字に起こす時こそ俳諧堂で行われていたもしれませんが、その源泉となっているのは、この山里の暮らし全体です。その暮らしが営まれていた「山廬」の敷地は、飯田家の屋敷とおもての庭だけからは想像できないほど広大で、家屋敷の裏を流れる小川、川沿いの竹林、橋を渡った向こうの雑木林までを含みます。

飯田家の自宅。こちらは非公開です。

秀實さんに誘われて散歩をさせていただきました。家の裏には竹林が広がり、小川にかかる橋を渡った向こうは、裏山になっています。坂道をのぼりきると、俳諧堂から見た時よりもさらに広く甲府盆地全体とその向こうの山並みを見渡すことができました。

水澄みて四方に関ある甲斐の国 龍太

山から沢に下りる途中の母屋や蔵の、瓦屋根の重なりぐあいの美しさに目を見張りました。季節や朝夕の時の巡りとともにさまざまな相を見せてくれるにちがいないこの風景を、飯田父子のすばらしい俳句が鋭く、やさしく切り取ったのだなと、あらためて感じ入りました。

整備された裏山

しかし、それ以上に素晴らしいと感じたのは、秀實さんご夫妻が、飯田蛇笏・龍太の俳句を生み出した環境そのものである、この広大な「山廬」を維持管理されていることです。しかも、それを、四季折々の季節の営みを楽しみながら、されているというのが、なんとも俳句的なことと思われました。

俳人や友人の方たちと共に、春には筍を掘り、花見をし、夏には川の音に涼を楽しみ、秋には月見、初冬の切り旬には竹林の手入れ。季節に応じて、身体を動かしてする外仕事の中に、季節のめぐりや移ろいを感得する体験を共有することが、蛇笏・龍太の精神の何よりの継承につながるのではないかと感じさせられました。

山廬の案内看板。改修された俳諧堂、母屋、蔵の屋根が図案化されている。

秀實さんが代表をつとめる一般社団法人山廬文化振興会では、月に何日か日にちを決めて俳諧堂を一般公開しています。また、句会を催す団体の求めに応じての場の提供や、自由に参加できる句会、竹林整備などの季節行事を行っています。ご興味のある方は、山廬のWebサイトで情報を発信していますので、ぜひご覧の上、おでかけください。

山廬(さんろ)

〒406-0851
山梨県笛吹市境川町小黒坂270
Tel:055-234-5123(山廬文化振興会)
Web:https://www.sanrobunka.com/
開館期間:4月〜12月の一般公開日のみ
山廬維持協力金:1,000円
※一般公開日は公式Webサイト上にて公表しています。
※山廬は登録商標です。