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2024年11月11日

天目山栖雲寺 各所改修工事完了 ①

天目山茶会にて青柳真元住職と丸山恵子先生(表千家丸山社中師範)と伝匠舎社長の石川、背景に見えるのは幻住派の自然庭園「天目山石庭」

中央自動車道勝沼ICから約20分、山梨県甲州市大和町木賊122番地にこのお寺はあります。標高1050m、深い谷間を抜けたこの高みからは富士山の優美な姿が望まれます。

栖雲寺は富士山を望む景勝の地に建っている

天目山栖雲寺(てんもくさんせいうんじ)は、中国の天目山で普応国師に学んだ業海本浄(ごっかいほんじょう)が貞和4(1348)年この地に開いた禅寺です。裏山の斜面には業海和尚が自然のままの岩石群を活かして築いた野趣味あふれる庭園があります。

栖雲寺本堂、右手には桃山時代建立の庫裏(山梨県指定文化財)がある

手前にあるのが南北朝時代、本寺建立当初1353年(文和2年)の宝篋印塔(ほうきょういんとう)、奥には開山業海禅師宝篋印塔

共に670年程前の塔姿を伝える貴重な遺品(共に山梨県指定文化財)、このほか本堂裏手には他にも多くの石造物が富士山に相対して並んでいて、当寺の立地の必然さを感じさせます。

庫裡入口より、このたび改修工事が完了した鐘楼堂の眺め

鐘楼堂の横手には稀有な禅僧であり俳人でもあった『中川宋渕(そうえん)』の句碑がある

中川宋渕は、昭和の臨済宗の禅僧。東京帝国大学在学中の昭和6(1931)年3月19日、山梨県の向嶽寺勝部敬学につき得度。得度後は大菩薩山中にて木食修行に励む。ほかに『大菩薩峠』の著者中里介山とも交友があった。俳人としても知られ、飯田蛇笏に師事、句詩文集『詩龕(しがん)』を刊行した。その句風は俳禅一如と称された。

「花の世の、花のようなる、人ばかり」 宋渕

このたび玄関先に移設修復された四阿(あずまや)

四阿から見る鐘楼堂