2024年12月16日
専修寺楼門(重文)保存修理工事 完成
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専修寺楼門の保存修理工事が完成(正面)
栃木県真岡市にある高田山専修寺(せんじゅじ)は、西暦1225年(嘉禄元年)、親鸞上人が53歳の時、真岡城主 大内氏の懇請により建立されました。親鸞上人が創建した唯一の寺と言われ、浄土真宗発祥の根本大道場として知られています。
専修寺楼門の保存修理工事が完成(正面)
栃木県真岡市にある高田山専修寺(せんじゅじ)は、西暦1225年(嘉禄元年)、親鸞上人が53歳の時、真岡城主 大内氏の懇請により建立されました。親鸞上人が創建した唯一の寺と言われ、浄土真宗発祥の根本大道場として知られています。
諏訪大神社・神楽殿の改修工事が完了
山梨県北杜市長坂町中丸1440にある諏訪大神社の神楽殿は、柱が沈下し傾き、舞台は長年の風雪によって腐朽が進行、毎年四月に行われる祭事での神楽の舞いにも支障をきたす状況に至り、宮司様や氏子皆様の熱意により改修工事が実現しました。
式典に間に合わせて修理工事の完了した鐘楼堂。屋根は、栖雲寺ご住職縁者の知見様のご奉仕により耐久性の高いチタン材で葺いた
天目山栖雲寺を開いたのは業海本浄(ごっかいほんじょう/1284~1352年)です。1318年に中国(元)に渡り、杭州にあった天目山の中峰明本(ちゅうほうみょうほん)に参じ修行を積み26年に帰国、48年には甲斐の山中に中国の天目山に似た理想の場所を選び、ここに栖雲寺を開きました。
天目山茶会にて青柳真元住職と丸山恵子先生(表千家丸山社中師範)と伝匠舎社長の石川、背景に見えるのは幻住派の自然庭園「天目山石庭」
中央自動車道勝沼ICから約20分、山梨県甲州市大和町木賊122番地にこのお寺はあります。標高1050m、深い谷間を抜けたこの高みからは富士山の優美な姿が望まれます。
竣工した拝殿
入母屋造り流向拝付き妻入り、甲府御岳の金桜神社の拝殿にも似た山岳信仰の形状
山梨市牧丘町杣口にある金桜神社。令和6年8月11日(日)、改築工事が行われていた拝殿が竣工し、大勢の関係者が集まって落慶式が賑々しく行われました。
つづら折りの石段をかなり登った先に一之門がある
昔、武田信玄公が急峻な山上に城を設け「久能山城」と称していたものが、徳川家康公のものとなり、その後家康公の遺骸を埋葬した際に久能城を廃城にし、今の東照宮が創建されたと言われます。
参道の鳥居から見る拝殿(竣工)
下山大工のふるさと身延町下山(しもやま)にある賀茂神社(かもじんじゃ)は、富士川ぞいの河内領(かわちりょう)の社頭として、奈良時代後期の天平年間(西暦750年)に京都上賀茂神社より御分霊されたと伝えられています。
生かし取り解体される内陣の木組みと彫刻
檀信徒の御先祖が浄財を寄進して造られた某御寺本堂、壊してしまえばお寺とのご縁も薄れ、即物的な現代社会にあっては、寺離れや墓終(はかじまい)も進行していくでしょう。