2020年1月26日
伊藤雅人 余人をもって代えがたい文筆家
いつも「がじん」さんと呼んでいましたが、正式には「まさと」です。歳は社長であるわたくし石川と同じ64才でした。
昨年暮れに出すはずの31号は、余人をもって代えがたく、いまだに出版の目途が立たないのです。
雅人さんは真に文才に恵まれていました。時には、彼がまとめた特集記事などを私が書いたと思い込んだ方に、私の文才が高く評価される…といった後ろめたい勘違いもありました。
雅人さんは、早稲田大学を卒業してまもなく新人物往来社という出版社へ入社、40歳を過ぎてから山梨県牧丘町へ家族で越して来るまで「歴史読本」という著名な書物を編集長として出版していたわけです。その後も田舎暮らしをしながら、編集出版の仕事は続けていましたが、私と初めて知り合ったのは市民グループ「塩山地域通貨研究会」の会合でした。
文才あふれる雅人さんに、かねてから温めていた社報の編集をお願いする機会を得たのは、思えば私の手柄でありました。あれから15年、今はただ安らかにとご冥福を祈るばかりです。長い間ありがとうございました。