2020年1月26日
伊藤雅人 余人をもって代えがたい文筆家

2020年1月25日(土)石和の家で行われたお別れ会。祭壇右に幼少期の雅人さんの写真、そして独特の風貌の雅人さんの遺影、大好きだったお酒も供えられていた
いつも「がじん」さんと呼んでいましたが、正式には「まさと」です。歳は社長であるわたくし石川と同じ64才でした。

社報「風流美」第1号、第2号の表紙

企画編集 がじん編集事務所+伊藤雅人

社報「風流美」第1号~第30号
雅人さんは真に文才に恵まれていました。時には、彼がまとめた特集記事などを私が書いたと思い込んだ方に、私の文才が高く評価される…といった後ろめたい勘違いもありました。
雅人さんは、早稲田大学を卒業してまもなく新人物往来社という出版社へ入社、40歳を過ぎてから山梨県牧丘町へ家族で越して来るまで「歴史読本」という著名な書物を編集長として出版していたわけです。その後も田舎暮らしをしながら、編集出版の仕事は続けていましたが、私と初めて知り合ったのは市民グループ「塩山地域通貨研究会」の会合でした。
文才あふれる雅人さんに、かねてから温めていた社報の編集をお願いする機会を得たのは、思えば私の手柄でありました。あれから15年、今はただ安らかにとご冥福を祈るばかりです。長い間ありがとうございました。