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2020年1月26日

伊藤雅人 余人をもって代えがたい文筆家

その他

2020年1月25日(土)石和の家で行われたお別れ会。祭壇右に幼少期の雅人さんの写真、そして独特の風貌の雅人さんの遺影、大好きだったお酒も供えられていた

いつも「がじん」さんと呼んでいましたが、正式には「まさと」です。歳は社長であるわたくし石川と同じ64才でした。

社報「風流美」第1号、第2号の表紙

2004年7月15日、弊社の社報「風流美」の名付け親となり、第1号を出してから昨年2019年7月15日に30号を発刊するまで、15年間の長きにわたって年にほぼ2回のペースで編集者として、共に二人三脚で「風流美」の出版をしてまいりました。しかし、令和2年1月20日23時55分、伊豆の居宅で肝硬変を悪化させ突然に急逝いたしました。

企画編集 がじん編集事務所+伊藤雅人


社報「風流美」第1号~第30号

昨年暮れに出すはずの31号は、余人をもって代えがたく、いまだに出版の目途が立たないのです。

雅人さんは真に文才に恵まれていました。時には、彼がまとめた特集記事などを私が書いたと思い込んだ方に、私の文才が高く評価される…といった後ろめたい勘違いもありました。

雅人さんは、早稲田大学を卒業してまもなく新人物往来社という出版社へ入社、40歳を過ぎてから山梨県牧丘町へ家族で越して来るまで「歴史読本」という著名な書物を編集長として出版していたわけです。その後も田舎暮らしをしながら、編集出版の仕事は続けていましたが、私と初めて知り合ったのは市民グループ「塩山地域通貨研究会」の会合でした。

文才あふれる雅人さんに、かねてから温めていた社報の編集をお願いする機会を得たのは、思えば私の手柄でありました。あれから15年、今はただ安らかにとご冥福を祈るばかりです。長い間ありがとうございました。