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2024年11月12日

天目山栖雲寺 各所改修工事完了 ②

式典に間に合わせて修理工事の完了した鐘楼堂。屋根は、栖雲寺ご住職縁者の知見様のご奉仕により耐久性の高いチタン材で葺いた

天目山栖雲寺を開いたのは業海本浄(ごっかいほんじょう/1284~1352年)です。1318年に中国(元)に渡り、杭州にあった天目山の中峰明本(ちゅうほうみょうほん)に参じ修行を積み26年に帰国、48年には甲斐の山中に中国の天目山に似た理想の場所を選び、ここに栖雲寺を開きました。

式典は聖応寺ご住職による尺八演奏から厳かに始まった

鎌倉にある大本山建長寺の吉田正道館長猊下を導師にお迎えし、令和6年11月9日、中峰明本(ちゅうほうみょうほん)和尚の七百年遠諱(おんき)が挙行された

しかし、日本に一度も来たことのない中国人の僧侶・中峰明本を偲んで、30人を超えるほどの日本の臨済宗の僧侶が集い、ここ山梨の地で七百年遠諱を挙行するとは、果たしてどういうことなのでしょうか?

本堂の中央には普応国師座像(国重要文化財)が安置された。式典で挨拶をされる恵林寺古川周賢老師様

表千家の大村幸太郎様による献茶

中峰明本は禅宗の中では幻住派(げんじゅうは)の祖として知られ、日本からも複数の禅僧が参じております。業海もその一人であり、師の教えを守り標高1050mの深山幽谷の地で座禅三昧の生涯を過ごしました。その後の栖雲寺は東日本の幻住派の拠点として栄えたということです。

栖雲寺は日本における蕎麦切り発祥の地。式典には山梨の有名な蕎麦店「奥藤」から大勢の方が参加し、参列者に手打ちの蕎麦がふるまわれた

工事着工前の傾いた鐘楼堂の様子

完成した鐘楼堂に再び銅鐘(山梨県指定)が戻った

中世期に造られた古い貴重な鐘で、久遠寺鐘(身延町)、光厳院鐘(笛吹市)、放光寺鐘(甲州市)、永昌院鐘(山梨市)とともに「甲斐の五鐘」の1つに数えられる名鐘

形状は比較的小型だが、全体の姿がすっきりと均整がとれて美しく、刻まれた銘文は格調高く気品に満ちて拝する人の心を打ちます。

工事の着工は令和6年(2024)4月、完成は同年10月、準備工事を含めて約6か月の工程でした。