2022年12月3日
放光寺水車の保存修理工事が完了
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放光寺水車の修理工事が完了、当社では車屋大工の育成と茅葺職人の育成に日々努めている
放光寺水車(西藤木水車)は三間四面、東側は寄棟造、西側は切妻造木造建築です。大水輪の下部を水路(小屋敷セギ)に直結させた押し車式で、中には、つき臼4台とひき臼1台があります。
水車創立については不明ですが、伝承では江戸時代末期に個人が創設したものを、地域の連30名が譲り受け共同水車として「水車日割表」によって使用。昭和43年3月には連による維持が困難となり、放光寺が管理することになったようです。昭和54年に西藤木水車保存会が設立されました、代表は清雲俊元長老が務めています。
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水車の工事着工前の外観
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2007年の屋根の修理工事の竣工事の写真
これは、茅葺師の加々美栄が見習い修行を卒業して初めて一人で葺いた作品ですが、妻最上部の駒額(こまびたい)が丸味を帯びてしまい、あまり良い形にはなりませんでした。当時放光寺のご住職であった清雲俊元長老が、これに怒ることなく、職人を目指す若者を温かく見守っていただいたおかげで、今一人の熟達した茅葺職人があるといってもよいかもしれません。
2007年に茅葺屋根の部分修理があり、2012年には大水輪の取り換えが、さらに2019年にも大水輪の小修理が行われ水車は回り続けてきましたが、その後さらに腐朽が進み、この度の修理では、水車の心棒ならびに大水輪の新調、ならびに茅葺屋根の全面葺替えが行われました。
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工事に先立って清雲長老によるご祈祷、工事の安全を祈る
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15年ぶりの屋根の葺き替え工事。下から上に向って古茅を抜き新茅を差していく
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棟は杉皮を真竹で押さえて固める
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屋根全体をコテを使って押さえ、鋏(ハサミ)を入れて形を整える
長い時を絶えることなく回り続けている放光寺水車は、大変貴重な民族資料と位置付けられています。工事の着工は令和4年7月、完成は同年11月、約4か月の工程でした。
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水車の心棒(ケヤキ)を取り換える
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水車の大水輪(赤松)を組み上げる