2012年5月19日
新宮「光充天宮」の不思議な話
施主の深沢敏行様の話によると・・・十数年前、母が末期がんとなり余命3カ月の宣告を受けた時に、ある宮司様にお祓いを受けたところ完治した。宮司様の言うことには、当家の先祖がかつて何か悪事を行ったために良からぬことが起こっているという。調べたところ、確かに先祖がその昔北条家からの使者を本籍地山梨県富士川町「平林」の地にて斬首、村内に遺体をばらばらにして埋めたことが判明した。これがたたって悪しきことが起こっているという、よってこの魂を鎮めるために係る場所に神社を建立したらよいとの宮司様の進言によって、新宮の建立を決意、このほど念願かなって社殿が完成した。
新しい神社の命名は縁あって東京都知事石原慎太郎氏に依頼し「光充天宮」となった。扁額の字も石原氏に書いていただいた。
この光充天宮、富士山に向かって建てられているというより、その向うにある北条家の本拠地である小田原に向かって建てられている。斬首された北条家の武士の霊を慰めるためである。不思議なことにこの新宮の建立に前後して弊社では、北条家代々の菩提寺である名刹「早雲寺」の建築工事を相次いで受注した。はたして北条家が喜んでいるとでも言うのだろうか。
平成24年5月19日、社殿が落慶し神様を迎えた日、最後に撮った記念写真に斜め上方から光が差してしまい、施主様に失敗写真をお詫びしたところ、これがまさに吉光と言って喜んでいただいたのにはほっとした。思い起こせばその日、宮司様の祝詞が始まると、首のない胴体が首とつながるためにはたして動いたのだろうか、村内の犬がやけに吠えたのは確かである。
工事着工は平成23年5月、竣工は平成24年5月、山林を切り開く土地問題が難航したため工期は伸びた、実質工事期間は約6カ月。