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2013年8月5日

聖徳太子像を担いで富士登山

5合目から見る富士山頂。

5合目から見る富士山頂。

平成25年8月3日、弊社社長の石川が「聖徳太子像富士登山」というイベントに参加しました。山梨県富士吉田市新倉にある如来寺に保管されている聖徳太子騎馬像を背負って登り、江戸時代に太子堂があったとされる8合目の山小屋“太子館”に祭って法要をするというものです。富士山信仰が盛んだった江戸時代には毎年行われていましたが、100年以上途絶えていたこの伝統を2009年に再開。今回で4回目を数えるこのイベントは、その伝統を再開して後世に残していく活動です。

この騎馬像は聖徳太子が27歳の時に神馬“甲斐の黒駒”に乗り、お供とともに空を飛んで富士山に辿り着いたという伝説に基づき、約200年前に冨士講が如来寺に寄進したもの。もともと聖徳太子は建築の祖師とされていて、昔から太子を讃仰する大師講という大工の集まりがあるほど、大工とはゆかりの深い人物です。

如来寺の本堂が宮大工である石川家の祖先が手掛けたというご縁から今回の参加となりましたが、富士山の自然を感じながら、聖徳太子を担いで登るという貴重な富士登山となりました。

■大工と聖徳太子
かつては一般の木造建築の職人を「右官」と呼んでいたが、江戸時代頃から一般の職人も大工と呼び、統率者に対しては、棟梁と呼ぶようになった。江戸の発音では「デエク」である。飛鳥時代に今も使われている「さしがね」を考案したとも言われる聖徳太子が組織し、都造りのため天皇のそばで建築の「木」に関わる職を「右官」、「土」に関わる職を「左官」と呼んでいたという説もある。

現在の建設業で「左官」以外の職種は設計も含め、「大工」より派生したものが非常に多い。 最近よく使われる「意匠」というのは、「匠(大工)」が「意図する(考えた)」という意味でデザイン性を表す昔ながらの言葉である。
ウィキペディア「大工」より抜粋

聖徳太子が富士山に登った伝説を描いた絵(8合目太子館蔵)

聖徳太子が富士山に登った伝説を描いた絵(8合目太子館蔵)

聖徳太子像の一部を担いで登る

聖徳太子像の一部を担いで登る

7合目あたりの厳しい登り

7合目あたりの厳しい登り

8合目の太子館に到着

8合目の太子館に到着

象は銅製で非常に重いので4つのパーツに分解して運ぶ

象は銅製で非常に重いので4つのパーツに分解して運ぶ

馬に乗る太子と従者の像

馬に乗る太子と従者の像

8合目の太子館の西側空地に祭壇を設ける

8合目の太子館の西側空地に祭壇を設ける