2015年8月30日
「俳句の聖地」に…俳諧堂の復元
俳諧堂は、俳人の飯田蛇笏・龍太親子が俳句を作る際に使っていた2階建ての蔵のうち、蛇笏が書斎として使った2階部分を指します。往時には蛇笏を囲んで句会が開かれ文人らが滞在したほか、俳誌「雲母」の発行所にもなりました。戦後、笛吹市境川町小黒坂の居宅「山廬(さんろ)」敷地内から、町内の別の場所に移築され養蚕に役立てられましたが近年解体。今年が「雲母」創刊100周年に当たることから、龍太の息子の秀實さんが理事長を務める山廬文化振興会が復元を計画しています。
先日(8月29日)開催された山廬での講演会の折、俳諧堂の復元案をお話しさせて頂きました。秀實さんからの依頼で携わるようになった計画ですが、まずは蔵の復元図案の製作から。やはり一番大きいのは「蔵が写った写真」の存在でしょう。具体的には、「龍太が撮影した蔵」のほか「俳諧堂にいる蛇笏」「山廬の庭で撮影された飯田家の家族」などの写真が挙げられます。そこから、窓や格子・障子・庇の形のほか、漆喰が使われていたことなども知ることができました。その他、家相図も参考にしながら復元図案を作りあげていったのです。
現在、俳諧堂復元に向けた計画は着々と進行しております。解体した蔵の建築材は大切に保管していますから、俳句の聖地とも呼べる貴重な建物をできる限りそのままの姿で忠実に再現するため努力していきたいと考えています。