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2017年4月28日

ストップ!清正公堂の雨漏り

清正公堂の正面外観

清正公堂の正面外観

身延町身延1番地にある日蓮宗の逕泉坊(きょうせんぼう)。熱心な法華経信者であった加藤清正公をお祀りした清正公堂は、江戸時代の文政年間(1818~1829)建立の仏堂で身延町の有形文化財に指定されています。

仏堂を飾る見事な彫刻

仏堂を飾る見事な彫刻

建物は入母屋の妻側に大唐破風の向拝をもち、尾垂木のある三手先の組み物が二重垂木の軒を支えているという、たいへん豪華なつくりの建物です。また仏堂を飾る彫刻も見事で、向拝と本堂とを繋ぐ虹梁は、左が上り龍、右が下り龍で、この中に仏が隠し彫りされていると伝わっています、ぜひ一度探してみてはいかがでしょうか。

緊急修理が完了した清正公堂の屋根 その1

緊急修理が完了した清正公堂の屋根 その1

緊急修理が完了した清正公堂の屋根 その2

緊急修理が完了した清正公堂の屋根 その2

逕泉坊ではこのたび、清正公堂の屋根の不朽が進み各所に雨漏りが発生したため、町の補助金を受けながら、緊急的な屋根の修理工事を行ないました。

修理前の状況 その1

修理前の状況 その1

修理前の状況 その2

修理前の状況 その2

※清正公
加藤 清正は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。城郭建築の名手でもあり、熊本城を始め、名古屋城などの建築にも携わっています。

※清正公堂
その昔、敵の武将を鬼門除けの祈祷によって退散させた場所へ、法華経の行者である加藤清正公の尊像を熊本の本妙寺より迎えて安置し建立されました。後に身延山に番地を作る際、ここは鬼門を除けた貴い処であるという理由から、身延町の『1番地』となったと言われています。