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2018年8月7日

下山甚句保存会の看板

2018年7月、下山甚句保存会と下山歴史愛好会によって「下山甚句発祥の地」の看板が建てられた

平成30(2018)年6月、下山甚句(しもやまじんく)保存会の遠藤輝昭様から、弊社の下山支所の地にある「甲州下山大工の郷」の看板の横に「下山甚句発祥の地」の看板を立てたい旨の連絡をいただきました。

背後に久遠寺と奥の院思親閣がある身延山を仰ぐ下山の地。
当社の本籍地に並び立つ2つの看板「甲州下山大工の郷」と「下山甚句発祥の地」

下山大工は、現在の山梨県南巨摩郡身延町下山を拠点に代々活躍していた大工集団。江戸時代の全盛期には300人もの大工職人がいたと言われています。

また、下山甚句の起源については諸説がありますが、身延山の宗教歌等が元唄であるという点では一致しています。その後、宗教歌が変化し子守歌や盆踊り唄に、そして地域の出来事や風俗を歌い足すようになったのでしょう。中には下山大工(しもやまだいく)を唄ったものもいくつかあります。

踊りながら下山甚句を歌う保存会のメンバー

平成15(2003)年、下山甚句保存会によって編集された「下山甚句句集」

今回、「下山甚句発祥の地」の看板のお話をいただいた時、強いご縁を感じ即快諾させていただきました。というのも、下山甚句には弊社の先祖である大工棟梁の政五郎が歌われているのです。
~下山大工政五郎 善光寺の ソレ 大金堂は撞木棟 ドッコイ 大金堂は撞木棟~

下山甚句に登場する甲斐善光寺の大本堂

善光寺を歌った甚句の一節。弊社の先祖である大工棟梁の政五郎の名が

善光寺を建てた棟梁、石川政五郎の肖像画

下山甚句に登場する御嶽金桜神社の神楽殿(1802年建立、1955年焼失)。
政五郎と七郎左エ門父子によって建てられた

神楽殿を歌った甚句の一節

神楽殿を完成させた石川七郎左エ門の著した「匠家雛型増補初心傳」
全国で読まれ大工職人の教本となった

参考
『下山甚句句集』(下山甚句保存会編集)
『身延町誌』(身延町誌編纂委員会)
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