2024年3月30日
久能山東照宮一之門 修理完了

つづら折りの石段をかなり登った先に一之門がある
昔、武田信玄公が急峻な山上に城を設け「久能山城」と称していたものが、徳川家康公のものとなり、その後家康公の遺骸を埋葬した際に久能城を廃城にし、今の東照宮が創建されたと言われます。
ふもとの鳥居から高低差約200m、本殿までの石段は1159段、「いちいちごくろうさん」と詠われるつづら折りの階段は17曲がりもするそうです。

振り返れば青い太平洋の大海原と石垣イチゴのビニールハウス群が眼下に広がる

修理工事が完了した一之門(南側正面)

修理工事が完了した一之門(北側背面)

修理工事完了の詳細、柱の柱脚根継ぎ、貫材の取り換え、扉の修理などを行った

工事着工前の状況

屋根を持ち上げ、下部の部材を抜き取り、工場に持ち込み修理し、現場に持ち帰り建て込んだ

工場での修理工事、柱の根継ぎの様子

現場で柱を建てる。この門よりほかに入口がなく、参拝の人々の通行を確保しながらの作業はたいへん困難だった