2005年3月10日
【登録文化財】旧武藤酒造主屋 修理工事完了
武藤家屋敷は平成5年に塩山市によって調査され、主屋は安政4年(857年)に建てられたことが明らかになっています。武藤家は当時すでに酒造を営んでいました。その頃は中庭を囲むように「ロ」の字型に並んでいたという酒蔵や米蔵の多くは、今は失われていますが、それでも現存する建物は当時の面影をよく伝えており、150年の風雪によくぞ耐えてきたと感動すら覚えます。
この長い歴史をもつ建物の維持管理には、以前より関係者の方々の並々ならぬ関心が寄せられており、私もご親族から相談を受けていました。このたび縁あって、本の街・神田神保町で古書店を経営されている幡野武夫氏が、この建物の歴史的な価値を充分に評価され、同時にご自分の将来の構想にも合致する場所として、所有することを決意されました。
幡野氏はこれを機に「笛吹川芸術文庫」を創設し、歴史的建造物の保存公開、ならびに芸術、文学、歴史資料などの展示に使うことを計画されております。この企画は長年胸中に温められていたようで、今回の出会いは、氏の言葉を借りれば「私の夢に、最もふさわしい場所を得られた」そうです。
今後の企画・展示の予定をお聞きしたところ、「鉄道王・雨宮敬二郎展」「日露戦争と乃木将軍展」「若き日の三島由紀夫展—文壇デビュー以前を中心に—」など等、即座にお答えをいただきました。
このたび建物の修復がほぼ完了いたしましたがお手持ちの文物類の整理などにしばらく時間がかかるため、開館は平成18年の秋頃になりそうとのこと。しばらくは、土曜・日曜のみの営業を予定されているようです。
「武藤家の屋敷は、山梨でも有数の歴史を持つ由緒あるもの。私どもの寺にとっても縁の深い家柄なので、なんとしてもこのまま残したいんです。」放光寺のご住職からこのような連絡をいただいたのは平成15年、新しい年が明けて間もない頃です。
武藤家は在家ながら、かつては近隣にある名刹、恵林寺や放光寺と肩をならべるほどの大地主でした。また放光寺の中興の祖と呼ばれる武藤弘遷が、いったん武藤家に籍を置かれた後に放光寺へ入山された、という経緯もあって、現在のご住職には少なからず関心ごとだったようです。
主屋は、梁行5間、桁行12間の規模で、大土間には一辺が58cmもの大黒柱がそびえ立ち、この柱が大屋根の棟まで届いています。また土間には中二階があり、その床には竹のスノコが貼られています。ここは使用人の寝所として使われていたようです。
また歴史的な意義を持つ建物ですので、登録文化財についてもお話させていただきました。幡野氏ももとよりその歴史的、美術的な価値を認められていたので、建物物自体が公に評価されることを大変喜ばれ、貴重な文物のみならず、建物自体が一般公開されることには大賛成でした。登録手続を塩山市の教育委員会にお願いし、平成16年6月に国の登録文化財に指定されました。