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2012年10月5日

富士山登山道の廃屋を調査

調査・実験 — タグ:
3合目にあった全盛期の頃の「見晴茶屋」の絵葉書 英語でDINNER HALL AT SANGOME とある

3合目にあった全盛期の頃の「見晴茶屋」の絵葉書 英語DINNER HALL AT SANGOMEとある

富士吉田市より吉田口登山道の廃屋となった山小屋7棟(大石茶屋・レッキス・大黒小屋・見晴茶屋・早川館・不動小屋・たばこ屋)の調査依頼を受けました。これらの山小屋は1合目から5合目の間にあるもので、富士スバルライン自動車道の開通で忘れ去られ、朽ちて無残な姿をしておりました。富士吉田市では富士山の世界遺産認定に向けてユネスコの諮問機関イコモスの調査員が訪れるのを機に、これらの遺構の記録保存を行い、荒れ果てたイメージの残骸を撤去することになりました。
弊社の調査チームは6名で編成しました。解体及び痕跡調査班や写真及び実測記録班、片付け集積班と仕事を分担し効率よく作業を進めていきました。現場での調査期間は7月末から9月末までの約2か月間、富士山という大自然を前にしてどうなることかと心配もしましたが、なんとか早い冬の訪れを待たずに作業を終えることができました。

今回の調査では、富士山の世界文化遺産に向けてのお手伝いが少しは出来たのではないかとスタッフ一同充足感もございます。願わくば来年6月、富士山が世界文化遺産に登録され登山道に賑わいが戻り、調査させていただいた山小屋がやがて復元されることを願ってやみません。

往時の面影がなく荒れ果てた「見晴茶屋」の様子(平成5年以降撮影されたもの)

往時の面影がなく荒れ果てた「見晴茶屋」の様子(平成5年以降撮影されたもの)

馬返しと3合目の中間地点にある「レッキス」の調査をおこなう弊社スタッフ。初めのころは登山道の上り下りのため筋肉痛になり、普通に歩けないようなスタッフもおりましたが、終わりのころには皆健脚になりました。

馬返しと3合目の中間地点にある「レッキス」の調査をおこなう弊社スタッフ。初めのころは登山道の上り下りのため筋肉痛になったが、終わりのころには皆健脚に

廃屋を調査するスタッフ。5合目下にある「たばこ屋」にて

廃屋を調査するスタッフ。5合目下にある「たばこ屋」にて

倒木で部材が下敷きになっているような所は、その倒木を切り刻んで取り除き調査を行った場所もありました。全ての山小屋に於いて礎石の大きさや位置の確認が出来、写真や平板測量で記録する事が出来ました。

倒木で部材が下敷きになっているような所は、その倒木を切り刻んで取り除き調査を行った場所も。全ての山小屋で礎石の大きさや位置の確認が出来、写真や平板測量で記録

調査業務の監修をいただいている山梨県文化財審議委員の清雲俊元様と山梨県立博物館勤務の堀内真様が調査の見分に訪れました。あいにくの小雨模様でしたがお二人とも元気に全コースを踏破されました。

調査業務の監修をいただいている山梨県文化財審議委員の清雲俊元様と山梨県立博物館勤務の堀内真様が調査の見分に。あいにくの小雨模様でしたがお二人とも元気に全コースを踏破

地元小学校の生徒たちが上ってきました。登山道は木々や苔が生い茂り、石畳の道もあり空気もたいへん清浄で心地よく、野草も美しく歩くのに楽しくなるような道でした。思いのほか登山客も多く、何人もの方々とあいさつを交わすことができました。

地元小学校の生徒たち。登山道は木々や苔が生い茂り、石畳の道もあり空気もたいへん清浄で心地よく、野草も美しく歩くのに楽しくなるような道。思いのほか登山客も多く、何人もの方々とあいさつを交わした

ハプニングもありました。9月11日、男性の登山者が目の前で倒れて骨折してしまいました。その場で足を固定する応急処置を行ったのち、弊社スタッフが背負って下山することになりました。怪我人を背負って健脚を披露してくれたのは弊社の大工見習・石原千幹くん22歳です、実に頼もしい限りでした。

ハプニングも!9月11日、男性の登山者が目の前で倒れて骨折。その場で足を固定する応急処置を行ったのち、背負って下山することに。怪我人を背負って健脚を披露してくれたのは弊社の大工見習・石原千幹くん22歳、頼もしい!