トピックス

2012年10月1日

気仙沼で震災復興「男山本店」

曳家され本来の位置に戻った男山本店

曳家され本来の位置に戻った男山本店

2011年3月11日の東日本大震災で被災した歴史的建造物群の修復や保存活用に向けた復興プロジェクトの一環として、津波によって移動した店舗を元の位置に戻す曳家作業が行われました。もと3階建てだった男山本店(登録文化財)は、1・2階部分は津波で流され、3階部分のみが残る状況になっていました。 (続きを読む…)

2012年9月9日

気仙沼:尾形家住宅の復興を支援

3・11震災で流された尾形家住宅の惨状

3・11震災で流された尾形家住宅の惨状

3・11の震災で流され、小屋組みと屋根だけが残った気仙沼の尾形家住宅は、工学院大学の後藤研究室の調査研究により、文化7(1810)年の建築で漁村に残るたいへん貴重な古民家であることが解っていました。登録文化財の指定を目指していましたが、震災にあった後は、この民家を何とか救いたいとする有志の方々の努力で昨年5月までに解体され、柱等の部材や民具などが保存会の皆さんをはじめとする多くのボランティアの協力を得て、瓦礫の中から回収され、現地に保管された状態でした。 (続きを読む…)

2012年9月4日

石船神社の石船!

修理工事完了(南東面)、全面に防腐剤を塗布した

修理工事完了(南東面)、全面に防腐剤を塗布した

笛吹市一宮町国分に鎮座まします石船神社の御本殿の修理工事が行われ、石船神社の名の由来となった石船が確認されました。はじめ御本殿の裏手にあった船石がそれだろうと思われていましたが、修理工事によって縁周りの板をはずしたところ、御本殿の真下から立派な石船が現れたのでありました。修理工事は平成24年9月に竣工、約2カ月の工程でした。

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2012年8月31日

長安寺本堂の銅板屋根を修理

修理工事が完了した長安寺様の本堂。

修理工事が完了した長安寺本堂

昭和57年に長安寺様本堂の保存修理工事を工事させていただきました。それから約30年がたち屋根から雨漏りが見られるようになりました。原因を調べてみると銅板の伸縮に対応する技術がまだ当時は十分でなかったために、ハゼ切れがおこり雨が侵入しているのではないかという結論です。 (続きを読む…)

2012年7月24日

身延山久遠寺 総門を修理

身延山久遠寺総門の前で

身延山久遠寺総門の前で

平成24年7月24日、身延山久遠寺総門を保存修理工事するにあたり、安全祈願のご祈祷が行われました。久遠寺28世日奠上人が寛文5年(1665年)に建立された総門は身延町の文化財に指定されていて、正面扁額には36世日潮上人の筆になる「開会関」の文字が記されています。完成は平成24年11月30日の予定。

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2012年4月1日

窪八幡神社で手水舎の修理が完成

修理が完了した手水舎

修理が完了した手水舎

大井俣窪八幡神社は山梨市北にある神社で、代々武田家をはじめとする甲斐源氏の崇拝を集めた神社です。多くの優秀な文化財建造物を所有していますが、たとえば日本最古に属するとされる木造鳥居はたいへん美しいもので木造の鳥居を考える上で模範とすべきものと考えられます。 (続きを読む…)

2012年2月17日

重要文化財「慈眼寺」でカンナ掛けの修行

伝匠舎の若手四天王? 板削りの研修で慈眼寺に集合!

伝匠舎の若手四天王? 板削りの研修で慈眼寺に集合!

山梨県笛吹市一宮町にある慈眼寺(真言宗)は、楼門・本堂・庫裏が国指定の重要文化財に指定されています。伝匠舎は現在本堂の保存修理工事にたずさわっています。文化財の修理工事で厄介なのが天井や壁や広縁に張られる幅広板の加工、材質はマツやスギですが機械を通さずに手仕事でなめらかな板に仕上げていきます。汗を流してカンナがけをするのは伝匠舎の若い職人達、刃を研ぎカンナの調整をしながらひたすら板を削りつづけています。

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2011年12月13日

慈眼寺(じげんじ)の御本堂で上棟式

住職様、総代長様はじめとする関係各位で記念撮影

住職様、総代長様はじめとする関係各位で記念撮影

「千歳(せんざい)の棟(とう)、万歳(まんざい)の棟、永永(えいえい)の棟」棟梁の掛け声で棟に上った二人の大工がカケヤを棟に振り下ろし棟木を納める儀式「棟納めの儀」が行われました。平成23年12月12日大安吉日、重要文化財慈眼寺の本堂で上棟式が行われました。平成23年8月に始まった工事もここでやっと半ばになりました。

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2011年12月1日

昌福寺:虫切加持堂を修理

虫切加持堂の竣工内陣、紅梁には彩色が施され室内は華やかです

虫切加持堂の竣工内陣、紅梁には彩色が施され室内は華やかです

有名な昌福寺の虫切加持の由来を聞くと「寺の十二代一道日法上人は京都において霊元天皇が重い病にかかり悩まされていたとき召し出され加持を行った、すると十七日ののちに全快したと云う。この日法上人の虫切加持・御符の秘法は昌福寺に伝えられ今日まで参拝者は絶えず春秋の彼岸には虫切加持の願人でにぎわう」というものですが、この虫切加持堂、長年の風雨にさらされて各所傷んでおりましたところ、この度修理工事が行われました。
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