トピックス

2012年10月25日

慈眼寺(重要文化財)で校外学習

文化財建造物保存技術協会の丸本所長から茅葺きの講義を受ける生徒たち

文化財建造物保存技術協会の丸本所長から茅葺きの講義を受ける生徒たち

平成24年10月25日、大月市立猿橋中学校の2学年の皆さんが慈眼寺現場を訪れました。目的は校外学習での職場訪問です。おりしも現場では大工職人と茅葺き職人が本堂の保存修理の仕事をしていました。生徒さんたちは、まず文化財建造物保存技術協会の丸本所長から慈眼寺保存修理工事の概要についてと茅葺き屋根工事の講義を受けたのち、大工の有泉棟梁の指導でカンナ掛けの体験をいたしました。

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2012年10月13日

修理工事を終えた六角堂で切子祭典

南ア沢登地区で行われた六角堂切子祭典の様子

南アルプス市沢登地区で行われた六角堂切子祭典の様子

平成24年10月13日南アルプス市沢登地区の伝統行事である六角堂切子祭典が開催されました。切子は十数枚重ねた和紙を「突きのみ」と呼ばれる刃物で切り込み、伝統的な絵柄や流行の風物を描いて作る工芸品。今年も沢登地区の住民の方々が切子を作って六角堂に奉納し、家内安全や五穀豊穣を祈りました。

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2012年10月5日

富士山登山道の廃屋を調査

3合目にあった全盛期の頃の「見晴茶屋」の絵葉書 英語でDINNER HALL AT SANGOME とある

3合目にあった全盛期の頃の「見晴茶屋」の絵葉書 英語DINNER HALL AT SANGOMEとある

富士吉田市より吉田口登山道の廃屋となった山小屋7棟(大石茶屋・レッキス・大黒小屋・見晴茶屋・早川館・不動小屋・たばこ屋)の調査依頼を受けました。これらの山小屋は1合目から5合目の間にあるもので、富士スバルライン自動車道の開通で忘れ去られ、朽ちて無残な姿をしておりました。富士吉田市では富士山の世界遺産認定に向けてユネスコの諮問機関イコモスの調査員が訪れるのを機に、これらの遺構の記録保存を行い、荒れ果てたイメージの残骸を撤去することになりました。 (続きを読む…)

2012年10月1日

気仙沼で震災復興「男山本店」

曳家され本来の位置に戻った男山本店

曳家され本来の位置に戻った男山本店

2011年3月11日の東日本大震災で被災した歴史的建造物群の修復や保存活用に向けた復興プロジェクトの一環として、津波によって移動した店舗を元の位置に戻す曳家作業が行われました。もと3階建てだった男山本店(登録文化財)は、1・2階部分は津波で流され、3階部分のみが残る状況になっていました。 (続きを読む…)

2012年9月29日

松里小学校耐震工事

竣工外観。 外壁には松里のイメージカラーの緑色がアクセントになり、周囲の山々と調和した建物に仕上がりました。

竣工外観。外壁には松里のイメージカラーの緑色がアクセントになり、周囲の山々と調和した建物に

松里小学校特別教室棟耐震補強工事が完了しました。工期は平成24年6月8日から9月28日、計112日間でした。夏休み期間を主にした突貫工事となりましたが、甲州市、学校及び設計事務所の皆様の協力をいただき無事竣工、引き渡しとなりました。特別教室棟は敷地の一番奥にあり、大型の耐震ブレースを安全に配慮しながら建物に取り付けるのには苦労しました。

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2012年9月27日

山梨県農協神社

竣工、輝きを取り戻した社殿

竣工、輝きを取り戻した社殿

平成24年9月26日、甲府市飯田一丁目のJA会館前庭にある農協神社の改修工事が完了し、関係各位が多数臨席するなか竣工式がにぎにぎしく執り行われました。

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2012年9月15日

築300年の家・命ふたたび

T邸 竣工外観(南西面) 2012年09月15日

T邸 竣工外観(南西面) 2012年09月15日

山梨県の中央市高部にあったとある古民家が笛吹市石和町に移築されました。専門家からは「重要文化財に指定されてもおかしくない」という声もあった住宅ですが老朽化が著しく、大きく傾いていて倒壊の恐れもありました。所有者であった塚田さんは最終的に今の状態で残しておくことは困難と判断、当社に古民家の今後の活用について相談をいただくことになりました。 (続きを読む…)

2012年9月9日

気仙沼:尾形家住宅の復興を支援

3・11震災で流された尾形家住宅の惨状

3・11震災で流された尾形家住宅の惨状

3・11の震災で流され、小屋組みと屋根だけが残った気仙沼の尾形家住宅は、工学院大学の後藤研究室の調査研究により、文化7(1810)年の建築で漁村に残るたいへん貴重な古民家であることが解っていました。登録文化財の指定を目指していましたが、震災にあった後は、この民家を何とか救いたいとする有志の方々の努力で昨年5月までに解体され、柱等の部材や民具などが保存会の皆さんをはじめとする多くのボランティアの協力を得て、瓦礫の中から回収され、現地に保管された状態でした。 (続きを読む…)